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◆◇ほぼほぼ自給自足生活の為に最後の解脱◇◆

◆◇なにも持たない質素な生活~スローライフ農家(最後の便所の落書き)◇◆

俺的な人生の最高の生き方は、何もないことに幸せを感じること

晴耕雨読にまったりと暮らす、ECO生活の実践。もっとも、都会で稼いで暮らす方がなんでも手に入り楽しい。俺の場合は ド田舎の農家(INT1百姓=俺)だから、みっともない話ですが、銭が少なくても、生涯食い物だけには困らない晴耕雨読の暮らしそのもの(ただそれだけ)。普通の暮らしだけれど、幸いにも先祖代々、(山は持ってないが、ド田舎では)土地も家も広い方だ。自然に恵まれてもいる。災害も少なく、のどかで物価が安い(自動車必須)。退屈だが生活環境は素朴だし、このまま昭和の時代のように良き田舎であり平凡(一生、都会のような発展はしないでしょうね。だから、ド田舎)。なので必要最低限の暮らしでも良く、国民として税金をきっちり納めて健康な暮らし、そして情報力はインターネットで最先端を得れば良い。健康に務めて、晩年は煩悩を捨てて、ぼんやりと気の抜くままに気楽に生きている。老いて「煩悩」も衰えれば、あとは幸福感しか残らない(だから、人生捨てたものではない。)
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若い頃は煩悩があって当然。人より優れていたいと悩むであろう。地位や名声や理想の家族や金持ちになるとか、ごく当たり前の感情でもあり、悩むであろうが、老いて煩悩が薄れたら、トラウマになるレベルの悩みもなくなる(不思議なものである。あとは良くも悪くも気楽な晩年は幸福感しか残らない)。割と深い実体験でもあるが、人の考えや境遇は異なるから、自分のアドバンテージを探り幸せに繋がる生き方は自分自身で見つけようね。人生において時期とタイミングと運も大切だ。俺の唯一の後悔は、最初から農家であることを悟り、回り道をしなければ、もっと気楽に暮らせていただろう。人生は、思ったより早く過ぎ去る。自分の生き方に可能性や意外性を見出して「平和」「健康」「家族愛」を大切に、ポジティブに楽しく暮らしたいものである。インターネットで世界の情報独り占め。世界の情報は、「暇つぶしの玩具」。全てを知ったところで、人間である限り、どうなる訳でもない。インターネットで裏側まで情報をつかみ、あらゆる世界の情報を好きなだけ自由に検索して、地上波や日本国内では知ることの出来ない世界基準を知り楽しむ。平和な世界で、美味い珈琲を飲みながら。

老いゆく先に見えるものは、リクライニングチェアに座った年老いた俺が、最後に組んだMod PCでネットサーフィンしながら珈琲を飲みながら、静かに安らかに果てている姿かな。(俺の土地 俺の家で威風堂々と孤独死出来る)。まぁそれまで健康と平和でありたいね。もし自分が身寄りがなかったり、寝たきりであったり、体中にチューブをつけられて何年も植物人間で生かされるくらいなら死に際は自分で決めたいね(安らかに逝きたいのが本音。苦しまずに逝く。)願わくば、日本も安楽死制度が出来たらいいね。

さて本題の「最後の解脱」とは、
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まずは、俺自身が、このBrog更新をやめること。(微々たる最後の自己顕示欲からの解放)
次に光回線をやめて衛星インターネットの契約までは、楽天モバイルで凌ぐ。(最優先)
余計なものを持たない生活。(持てば持つほど銭と税金がのしかかる。)
既成概念は捨てて節約(仕事と家族ごと以外は外出しない)
便利の代償に時間奴隷が増える(銭と資源と食料の奪い合い)
自動車も複数持ちはやめて農作業用の軽トラ1台にする。(重税対策。)
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食生活は、農家なのでほぼほぼ自給自足の生活。(健康促進の質素な食※訂正、生涯米野菜食い放題。)
娯楽も、5円スロットなどもなるべく控える。(娯楽費節約)
DIYの暮らし(節約ある楽しい自給自足生活の礎)
近場の田舎の安い日帰り温泉やサウナとかを楽しむ。(必要最低限の息抜き)
将来を生き抜く為に、いざという時に使える国民として知るべき事を知っておく。(備えあれば憂いなし)
君子危うきに近寄らず(今の時代に生き抜く知恵)
世の中が災害や紛争や気候変動等で混乱しようが、生き抜く術を保つ。(常にサバイバルを想定)
人類増加に伴う環境破壊や環境汚染(居住する大地の環境を守ること)
軽トラモバイルシェルター・ポタ電・ソーラーパネル・食料水備蓄・Web通信設備(備えあれば憂いなし)
健康と貯蓄(借金は一切しない)※自給自足+ミニマリスト的思考は先の見えない次代の様子見に有効。
物事は考えようである。(ポジティブ思考で暮らす。)
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銭を、ほとんど使わない暮らしにシフトする。(自由と幸福感の自給自足・銭依存からの脱却)
スローライフながら、情報力は最先端(情報力こそ生き抜く術)
自分が貧乏だと、変なやつが寄ってこない。(人生の防御率UP)
生活習慣改善。食生活も食事回数を減らす。(ダイエット肥満防止)
気候変動よりも、老いる事の方が怖い(命短し恋せよ乙女)
究極な生き方(=究極な生き方は、地球上で一人。気を使わない暮らし。遊ぶ事に正当性を必要としない)
老いたら自己顕示欲を無くす。(無駄と手間が増えるだけ。自分の時間が無くなるだけだから。)

日常に騙されない事(目糞、鼻糞を笑う耳糞を馬鹿にするビチグソでもいけない。皆同類)
お金という名の麻薬=「銭」という名の植民地から解放(本来の貧しくてもゆとりある生き方にシフト)
政治も宗教もInternetも、銭が絡むと皆、モラル度外視で狂う。(人間の浅はかさで自滅の原因になる)
宣伝ならビジネスだが、SNS自己顕示欲に取り憑かれたら中毒で危険(安らぎは無い。程々に)
使い捨て文化という便利は自らの首を絞める場合がある(便利は影で無駄な廃棄物を産む)
ストレスや見栄で銭を散財するのはやめよう。(支配者層の思うツボ。これだけでも避けようね。)
農家ゆえに、家の自給自足料理は精進料理に近い。(野菜サラダと水とチーズと無糖珈琲が最良の主食)
自己顕示欲(見栄)や銭(儲け話)の無い暮らしに生きる。(詐欺等予防)
家族愛を大切に(幸せの土台であり基本。無ければつくるべき。)
広大な自然の中で暮らしたい(国内なので、カナダやオーストラリアと比べたら大した事は無い)
領土・城・主(圃場・家・俺。老いて隠居生活。孤独と老いを受け入れポジティブ終活余生)
健康に務め、足るを知る身の丈ECO暮らし。(解脱)

※まだ先だけど一説には今後50年かけてじわじわと、格差社会に気候変動そして食糧危機が懸念される。それに伴う、なりふり構わずの共喰いのような世界(なりふり構わぬ食料・資源・水・安住出来る土地や銭の奪い合いや、なりふり構わぬ国益損ない幸福度下げる情報操作)に巻き込まれないように、そして不況の波が来ても、元々質素な生活水準にシフトしたので気にならない耐性を習慣づけて備えたい。本当に起きるかは知らんけどね。

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俺の場合、人生を誇れるものは何も無いが、何かあるとすれば。若いうちは、バイタリティがMAXあるうちは人生を最大限に楽しめ。だね。俺は、20代後半から、30代の十数年間が人生で一番楽しかったね(誇れるものは何一つないが、何故か当時は、バイタリティが凄くあったなぁ)。俺の当時の座右の銘は、

「老いて、悔いの残らないように遊ぶ。」

だった(笑)。よく遊び、よく働いた。自身が目指す道の「本物」になるには、自分自身の命を削る。されど、命を削って得た名声だとしても、老いて死後に名声を得ても(なんにも)嬉しくはない。世界に名を残すのは命を削る事だ(このまま本気で極めようとすると、代償に俺自身死ぬと思った)。結局はアーティストにはなれなかった。ならば、本物になれなくても、悔いの残らないように遊ぶ(人生に悔いの残らないように遊ぶという作品を心の中に描いた。凡人は天才にはなれないが、命を削る必要も無く、身の丈なりに足るを知り、楽しく生きられる)。結果、名古屋では沢山のいい思いをしたし、実際に良い思い出ばかりだ。(昔は三大将軍の地で、大企業のお膝元で、当時は景気が良かったから銭が経済を回す回す。ちょうど、パチスロ4号機全盛期の頃やね。老若男女皆、win win の関係で幸福度が高かった街。当時の名古屋の話。もっとも、今の方が良いかもしれないが、ここ数年、コロナパンデミックで四国から出られないから、他県の景気や幸福度を肌で感じられないので分からないけどね)。なんにせよ当時は、こと「遊び全般に関しては」やりたい放題だったかもね。ギャルも綺麗な娘ばかりいたなぁ。

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四十過ぎて、四国へ帰り農家を継いで、五十路越えた今は、もう昔のような元気はないな(笑)。もはや、色気より、食い気より、足つぼマッサージが気持ちいい年齢に老いた俺。あとどれ位 人生を楽しく遊べるかは分からないけど、貴重な時間は刻一刻と進み続けて、俺は老けゆく(笑)※残された人生を(馬鹿なりに)謳歌出来る自由な時間は少ない。嗚呼、あの頃に戻りたいねぇ。五十路超えたら思考の全てを俺は切り替えたね。何をしても今更感しか俺自身は、ね~な。(これからの時代は若い人たちのものだね。老人基準で楽しいと思っているのは老人だけ(もっとも、年配の人でもバイタリティ溢れる猛者もいるけどね)。若さとバイタリティは、若い人達には敵わないし、新時代は若い人達のものだ。)。老後は、野垂れ死にしても誰も悲しまない位に自由で気楽にスローライフで暮らしたいね。これからも俺自身は道路の茂みに落ちている空き缶の様な、誰も気がつかない気楽な悠々自適人生で行くでしょう(なんという贅沢)。まぁまぁ、俺は散々遊んだから、立ちにくくなっても悔いはないね。笑。俺は先見の明があったなぁ(INT1)

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既に年金暮らしのような生活リズムになったが、65歳の厚生年金受給まで後まだ13年ある。
衛星インターネットと自給自足の生活。インターネット時代を超越した暮らしにしたい。笑
必要な情報を得て、不必要な情報は一切見ない。情報力をインターネットでMAX駆使して得たら、時代の先読みや賢明な考え方が冴え渡るが、結論をいえば、人間の残念なところで、どうにもならないことが多い。(事実は真実ではないが、真実もまた現実ではない)。人間は自分に都合の良いように物事を考える生き物である。情報の波にのまれて、自分の立ち位置を見失ってはいけない。時には脳みそを発汗作用の良い最新サウナで浄化させて整えないと、しんどい。あらゆる情報を知ったところで、どうなる訳でない場合が多い(だって人間だもの。である)インターネットも未来永劫最大限に利用し尽くしても、同時に未来永劫、セキュリティ面を含めて一切信用はしないですね(この世の中と同じ)。なんにせよ、今後も世界の情報を独り占めして楽しみたい。そして、安上がりの情報操作に一喜一憂する安上がりの民族に成り下がってはいけない。インターネットは情報の宝庫。このBrog更新を辞めることが、最後の解脱。

ポジティブに楽しく、「平和」「健康」「家族愛」を大切にしたいですね。

名もなく生き、そして名もなく死ぬ。ボンクラ百姓(俺)。王様は王様らしく、魚は広大な海を魚らしく泳ぎ、鳥は広大な空を鳥らしく飛び、馬鹿(俺)は馬鹿らしく生きるのが幸せである。極めて気楽な生き方である。人から見たら、変人かもしれないが、本人(俺)にとって、自分に合う生き方こそが、心地よい生き方なのだ。人生とは、未知なる領域を独走する方が、先駆者だし、目立つし、独占できるし、自由だし、影響力がでる。なので、皆と逆の方向へ向かって意外性を見出す方が面白い。(それが正しいとも儲かるとも言わない。)

※最後にSo−net様に、Brogスペースを利用させてもらって感謝。及び、このBrogに来訪して頂き、落書きを覗いてくださった皆様へ感謝。では、最後のアドヴィクトリアム。Fallout76や、ベセスダの新作やら、ゲーム全般はずっと死ぬまで遊び続けるさ。オープンワールドのどこかでまた会いましょう。

2022年1月【完】

◆◇意識は無機質なエネルギーに過ぎないのかもしれない◇◆
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水槽の中の金魚を、水の無い陸地を見せようとすると、水と酸素で膨らました透明のビニール袋に金魚を入れて人間が持ち歩いて散歩程度の時間は陸上の世界を金魚に体験させられるであろうが、当然ながら陸上で暮らせられる生体を金魚は持ち合わせていない。ならば、人類も宇宙空間を宇宙ステーションで滞在することは出来ても、素の生身で宇宙空間を自由に移動して暮らすことは、生体的に不可能だ。水中でしか生きられない魚が人間のようにはなれないのは当たり前だが、知識というか視野というか次元の違う領域に住めないということは、極論を言えば、地球の表面でしか生きられない人類は、宇宙空間で自由に暮らせている高度生命体からすれば、地球という球体の表面のただのオブジェクトに過ぎず、宇宙空間で生きる事も出来ない知識も低い存在に過ぎないとなる。そして、宇宙空間に生きる高度生命体の事や、その存在に伴う全ての情報は、自分が人間である限り、永遠に理解は出来ないとなる。人類は地球の表面を彩るちっぽけなシャボン玉表面のカラーの如しである。

どうすれば、地球という球体の一部から離れて、次元の違う宇宙空間を縦横無尽に生きる高度生命体に昇華出来るのであろう。いや 、宇宙空間の先にあるさらに次元の違う領域に死後どうすれば辿りつけるのであろうか?こういうたわいもない事を毎日考えるスローライフな俺(笑)

宇宙は広大な海のようなもの。太陽の表面から吸い取る巨大なモノの映像(数年前の映像)が本当ならば太陽を突き刺すカブトエビとタガメとクラゲを足して割った様な生物が泳ぐ宇宙空間は海のようなものでありエンドレスで永遠にリンクするのである。宇宙人は太陽よりも遥かにデカいサイズの生命体が存在するやも知れないし、あるいは逆にコカコーラの炭酸の中に無数の銀河系が広がっているかもしれない。隕石が地球を活性化する地球の表面にしたのかも知れない。溶岩は地球の血液。人間というか、地球上の全てのものは、地球とつながる微々たるエネルギーに過ぎないのかもしれない。今自分自身の人類としての意識は、自分自身が死ねば、一度地球という大きな生命体に戻り吸収されて本来の形に一体化する。地球が我々そのものである。そしてまた、意識はリセットされて過去を忘れる。つまり微々たるエネルギーそのものであり、微々たるエネルギーの意識は元々一つの地球という球体である。そしてまたランダムに、地球という球体自身から放出された微々たるエネルギーが、地球上の何らかの生命体に宿る。前世の記憶はなく、微かな感覚だけが残るものの、エネルギーがリセットされて新たな地球の生命体になると同時に、宿った生命体に都合のいいように意識となり同化する。そしてまた死ぬと微々たるエネルギーの我々は地球という球体そのものに戻ると共に前世の事を忘れる。以降、地球という球体の目的が達成されるまで、微々たるエネルギーの再起動は繰り返される。その先には、地球という卵から生命体が誕生するのかも知れないとか、そんなものより、最後まで理解し難い領域に、我々は知る術も、理解する術もない。人類よりも計り知れない上には上のまた上の存在がいれば安堵するね。バグだらけの世の中だからね。ユーモアに変えて楽しく生きよう。76のようにね。笑

我々の意識は、地球という球体そのものであり、また微々たるエネルギーなのかもしれない。

よって哲学的に言えば「意識は無機質なエネルギーに過ぎない。」※我々人類が理解出来る領域では無い。球体に戻れば理解出来る領域。

知らんけどね。
2022年1月 kasa2007


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ダフネ「ねぇ、君って実在するの?」



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